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「楽をしたい」のが根源!?出来ないことが知りたい先輩の話。
2015/01/22

沖坂 祥平
おきさか しょうへい
理学研究科
博士課程後期2年(専門:数学基礎論)
SLA数学担当(2010~2014)
2010年のSLA活動開始当初からメンバーとして活躍してきた沖坂くん。彼がSLAを始めたときはまだ3年生でした。数学の学問のこと、自身の研究のこと、SLAで活動しながら気づいたこと等々をインタビューしてみましたよ!記念すべき「先輩×学問」コラム第1号☆少し長い記事となりましたが、ぜひぜひお楽しみください(^^)/

―それではよろしくお願いします。早速ですが、大学に入った当初は、どんなでしたか?
入学当初は知り合いが誰もいなくて、とにかく人に話しかけるのを頑張ってました。理学部の合宿(※オリエンテーション)で一緒の部屋割りになった人とはその後の授業とかでもずっと一緒でしたね。合宿の移動時のバスの中の会話が印象的で、初対面だから「どこ出身なんですか?」とかの会話になるのかと思ったら「数学のどの分野に興味あるんですか?」から始まって(笑)「大学ってこういうところなんだ!」と思いました。いや、今思えばそこが特殊ケースなだけだったんですけど(笑)その時は数学の分野なんて知らなかったから、「よく分からないです~」って答えました。
―始めから「これがやりたい!」っていうのがあったわけではなかった?
そうですね。消去法で数学が残って。「好きだし、いいかな!」って。大学もみんな進学するからしておこうかなというくらいの感じでした。
―じゃあ、最初はどんな感じで勉強を始めたの?
とりあえず、図書館に行ってみました。全学教育で色んな事が勉強できるというのも嬉しかったんですけど、自分数学科だよなと思い…、だったらもうちょっと数学っぽいことやろう!ってことで図書館へ。でも、数学の本読もうと思ったのに『critical thinking』みたいな本読んだりしてて…、正直数学の分野についても全然わかってなかったんで、何に手を付けたらいいかさっぱりでした(苦笑)とりあえず「1って何?」「そもそも数ってなんだ?」「自然数ってどうやって定義するんだろう」みたいなことが気になって、とにかく数学を「スタート地点」から始めてみたかったんですよね。そんなことが書いてありそうな本をひとまず手に取りました。こういった疑問は、高校の時はそんなに意識してなかった気がしますが、「大学は自分で勉強するところだよ」って言われて、「あぁそうなのか、自分で動かないとダメなのかぁ。じゃあ動いてみようかなぁ」という感じで考えて、どこから始めようかなと思った時に、「じゃあ、一からやってみようか」と思いました。
―その頃、授業とは別に数学に関して何か別の勉強をしていたりしたの?
2年生の後期の頃から自主ゼミをやってました。自主ゼミを立ち上げた友人から誘われたので「やるやる~」という感じで。自主ゼミといってもちゃんと先生が付いてくれました。最初の自分の発表はただ教科書を読むだけな感じでしたが、でも、「そこ、何で何で?」と議論しているうちに、「教科書って色んなこと書いてないんだな(行間があるんだな)」っていうことを、そこで知りました。
―今、自主ゼミやろうかなって思っている1・2年生がいたら、何てアドバイスしますか?
数学に関してだったら、「直感的に明らかだな、これは成り立ちそうだなって思うところも、証明を実際に書き下してみる」ということですかね。本に書いてあると、「そうなんだろうな」って思っちゃうんですけど、それは自分がわかったことにはつながってないと思います。
―研究と勉強で変わったところってありますか?
単純にいえば、「わかってないことを明らかにする」のが研究かな、と。教科書読んでても、教科書に書いてないことまで疑問に思って自分なりに考えたら、それはもう研究だと思います。勉強っていうのは、教科書に書いてある知識をインプットすること。研究っていうのは、インプットした知識を使って自分の興味あることを考える、ということかな。
―ではでは、今の研究テーマはどんなものですか?&それはどうやって決まりましたか?
研究分野が決まったのは4年生の時でした。もともと「こんな効率の悪い解き方しかないのか?もっと簡単な解き方があるんじゃないのか?」」みたいなことに興味があって。そして、4年生になった時に、計算量の分野をやりたいと指導教官に話をしたら、計算量と論理学の融合分野となる本を紹介してもらいました。それがちょうど高校の時に興味あった分野と、大学で興味を持った分野の融合分野だったんです。それがきっかけで「記述計算量」という分野の研究をしています。
まず、計算量理論という分野は、問題が与えられた時にその問題を解く“難しさ”に関わる研究をしています。“難しさ”の階層(クラス)というのは厳密に定義されていて、それを測る尺度も「時間」と「メモリ」の2つの測り方があります。その定義された階層(クラス)たちが、「それぞれ本当に異なる階層(クラス)なのか?」ということを明らかにするのがこの分野の最大の課題です。
懸賞金がかかっている問題に「P=NP」っていうのがあるんですけど、Pは「簡単に解ける問題」。NPは、問題と答えの証拠が与えられた時に、「証拠を使って答えを確認するのが簡単な問題」です。例えば187は合成数ですか?と尋ねた時に「11×17=187だから合成数です。」と言われたらこれが正しいことは掛け算をすれば簡単にわかる。この意味で、数が与えられた時に合成数かどうか判定する問題はNPに入ります。ただ、合成数かどうかを判定する簡単なアルゴリズムがあるかというと、それはよくわからない。しらみつぶしに調べればいいわけですけど、それだとものすごく時間がかかってしまうので、そういう風に考えるとこの問題はPには入らなさそうだと。でも、もしかしたらもっと簡単な方法があるかもしれないですよね?「本当にない」のか、「まだ見つけていないだけ」なのか。そういったことがわかっていない、という感じです(※実際この問題はPに入ることが知られています)。もう少し言い換えると、“解く難しさ”で階層ができているんだけど、その階層同士の差が本当にあるのかどうかが、まだ全然わかっていないんですね。この話を高校生の時にテレビで見たんです。「その階層と階層が本当に違うと証明出来たら1億円だ」と。先ほど高校の時に興味があったことといったのはこの話でした。
で、記述計算量理論というのはその“解く”難しさを、問題を“述べる”難しさで特徴付けようとしています。「合成数ですか?」のような、考えてる問題の問題文がこの枠組みで定式化出来たらその問題はこの階層に入るし、逆に問題がこの階層に入るならその問題文はこの枠組みで定式化出来るといった感じです。
―それがわかると、何ができるようになるの?
例えば計算量理論でよく言われるのは…「暗号」の例ですかね。「暗号」っていうのは素因数分解の難しさに依存しているんですが、必ずしも「解けない」ということはないんです。でも“価値がある暗号”というのは、その暗号が解き終わってる頃には、隠していた情報の価値が既になくなっているほど解くのに時間がかかります。なので、P=NPだったら暗号は簡単に解けちゃうけれど、P≠NPであれば、その暗号を高速で解く方法はないとわかるので、暗号の安全性が確固たるものになる=数学的な保証がそこでできるわけです。
―沖坂くん自身は、どういうところが面白いと思ってそれをやってるの?
「巡回セールスマン問題」というのがあって。セールスマンがいくつかの場所を回る時に、最短経路を周りたいと思うのが自然だと思うんですが、一つ一つ経路を計算する方法だと、訪問場所が増えるほど場合の数が増えて計算がとても大変になる。じゃあもっと簡単な計算方法がないかなと思うんですが…これがわからない。すると、「もっと簡単な計算方法なんて、ないんじゃないか?」と思う。でも「ない」ということもわからないんです。なんか、こんな簡単そうなシンプルな状況でも“わからない”というのが面白いなぁと思って。
もっと素朴には…自分、頭で予定とか計画とか立てるのクセなんです。○○と××と△△に行かないといけないなぁ~って時に「××先に行った方が早いなぁ」とか考える方で。実際には面倒な道を選んだりもするんですけど(笑)でも、そういう意味でもともと「効率のよさ」を思考する傾向はあったと思います。「もっと楽をしたい」のが根っこかな(笑)
―「楽したい」のに、そのために難しい議論をするんだね(笑)?
調べてみて、「楽できない」ということを知りたいんです。「これ以上楽できないのか~」って知ったら、しょうがないやって諦めがつくじゃないですか(笑)これ大事だと思うんですよね。楽できないってわかったら、じゃあどこに力入れるべきかって考えられるし、無駄なこと考えないで済むから!
―それではここで話題を変えて、SLAの事についてお聞きします。沖坂くんの中で「SLA」ってどんなところですか?
ん~、「新鮮」。SLAに入った当初は「バイト」というくらいにしか思ってなかったですけど、やっぱり最初の年の合宿が衝撃的でした。合宿では、「SLAはどうなるべきか」みたいなことを先輩たちが話しているのを聞いて「こんな頭いい人たちがいるんだ、考えている人たちがいるんだ」って思ったのと、「人の話し方ってこんなに違うんだ」という2点が印象に残りました。「頭がいい」というのは、色んな視点の持ち方ができる・切り換えができるという意味です。「話し方」というのは―何となく自分が思うのは、数学科の人間って、何かもやっとしたことを話そうとするとき、なるべく輪郭を与えようとする気がするんです。そして、輪郭がはみ出ないように、間違った情報を与えないように、輪郭の中で話をするようにしている気がするんですよね。でも、他の人は、もっと「もんやりしたもの」を「もんやりしたまま」伝えようとしている気がします。そういうところで噛み合わなさを感じたりもしましたが、「そういう話し方をするんだな」ということがわかると、それに合わせた話し方をしなきゃいけないし、「もやっとしたものをもやっとしたまま受け取る」ことも覚えないといけないと思ったりしました。でも、「あぁ人間ってそういうもんなんだ」って思ったら、「じゃあこの人はどういう感じでしゃべってるんだろう?」「この学問はどういう考え方してるんだろう?」って色々考えられると思うし、そういうことを楽しんだ方が大学に来た意味もあるかなと思います。
―「SLA」をしていて変わったことはありますか?
物腰が柔らかいと言われるんですが、たぶんそれはSLAをやっていたからかなと思います。もし数学だけをやっていたら、たぶん理論武装の塊みたいになっていたかなと(笑)、そうならなかったのはSLAにいたからかなと思います。人間らしいままでいられた、と(笑)
―沖坂くんが活動する中で大事にしていることってある?
最近は、「相手のスタート地点を見極める」ことかな。「何が疑問で何が分かっていないか」とかよりも前に、「そもそも今何を考えているのか」とかを意識しています。「数学の考え方」そのものを知らない学生が多いと思うので、数学は普段とはちょっと違う発想で物事を考えているんだという事自体を知ってもらうのが必要なのかなと思っています。
―それぞれの学問毎に違う頭の使い方をしてるんだ、という前提をまず知るという感じかな?
そうですね。特に数学は、高校までは公式覚えて計算して答えを出すということをやってきているけど、大学数学では「積分の定義をしましょう」なんてことに時間をかけるわけです。よく授業で先生たちは、「ここの議論ではこの仮定がとても効いてるんですね」とか、「この定理で本質的に大事なのはどこなのか」というような“数学的に大事なこと”を伝えようとしていると思うんです。それは数学の講義としては正しいと思うんですが、大学の数学を知らない学生から見たら「この人は一体何の話をしてるんだろう?」と思うと思うんですよ。「そもそも何でそんなことしなきゃいけないの?」とか、「そもそもなんで数学を勉強しているのか?」ということに疑問を持っている気がするんです。なので、そういう疑問を丁寧に掘り下げていく必要があるのかな、と。大学数学をやる上での意識の転換が必要かなと思います。
―では最後に1・2年生にメッセージを。
というわけで、そういうことに目を向けるところから始めましょう!「出来ない」「解らない」ってなった時はまず「ここでは何を考えているのか?」「自分は何を知らないからこれが解らないのか?」みたいなことに考え方を向けてほしいです。そして、できれば問題が解決した後も、「自分は何が出来ていなかったから、ここで躓いていたのか?」まで考えてみてほしい。そうすると、学びが深まると思います!
―最後と言っておいて何ですが、もう一声(笑)
じゃあ、「違う分野の人と話そう!」&「大きい心を持とう!」の2つ!自分と違う考え方の人と出会った時に、「この人はダメだ」とか「自分とは合わない」って決めつけないで、「人には色んな考え方・思考の仕方・伝え方があるんだな」と思うことが大事かなと。その上で、違う分野の人と関われるといいと思います!友だちと話しているだけでも「何だ?こいつ」みたいなことってあると思うけど(笑)、そういうことを「知れる」っていうこと自体を楽しんで欲しいなぁと思います。そのためには、ひとまず人と話してみるしかない!“優秀な人”“この道のプロ”みたいな人と出会うのも大事かなと思います。
★終了後… ―これ、2000字に収まるかな…?絶対収まらないよね(笑)
2000字に収まらない考えを持てた自分を褒めてあげたい(笑)